見えないものを信じるちから

うまくいく未来を信じて行動するには何が必要か

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物質の分析

 TAの勉強会仲間で思案中のおもしろ企画★

だいぶ形が見えてきました♪

 

 

完成したら絶対楽しいよね~♪とみんなで話しつつ

考えたりアイテムを作ったりしている時がとってもワクワクです。

 

 

 

こんなふうに楽しく勉強したり、たまには遊んだり、助け合ったりできる場を広げていきたいな~と企んでいますw

 

 

 

 

では、本日の記事です。

 

 

 

 

物質の分析

 

 

5つの項目を使って物質を説明します。

 

 

①列挙

 どんな物質があるのか、物質のリストを挙げる

 

②分別

 物質をいろんな分け方でグループ分けする

 

③起因

 物質がどのように生まれるか、という因果法則を説明する

 

④聚

 物質はどうやって固まるかという組み合わせや、どのように組み合わせて物質現象が

 生まれるか、という組み合わせを説明する

 

⑤生起の順序

 物質がどのように変化していくか、その在り方を説明する

 

 

 

 

人は物質についてばかり考えがちです。

心について考えているようでも、根本的には身体や周りの対象人物との関連があります。

 

 

 

心は目に見えず定義しづらいものです。

そのため、まずはわかりやすい物質から分析をしていきます。

 

 

 

 

 

 

 

物質の分析の仕方を5つ書いていて、内心「なんでこんな説明を書いているんだろう・・・」

と思いましたが、物質を分析することで、物質に対する概念が変化するんでしょうかね。

 

 

 

心を知るにはまず物質から。

物質にとらわれて生活し、心や感情が生まれているのだからまずはその物質について知りましょう

ということですかね。

 

 

 

 

シンプルに暮らしたいと思いつつ、物で溢れ物欲が尽きない私。

物質に対する捉え方が変わったら、少しはこの欲も落ち着いてくれるでしょうかw

 

 

 

 

 

 【参考図書ブッダの実践心理学 第1巻/アルボムッレ・スマナサーラ

物質と心

 いろいろ試行錯誤してみたものの、やっぱり家計簿は帳簿がいいという結論になり

帳簿を新たに作成しました。

 

 

以前も、企業の経理で使う帳簿のように仕訳帳から作って使っていましたが、

面倒すぎて途中で断念。

 

 

一旦、気軽な手帳のバーチカルを利用した方法をとっていましたが、管理しづらかったのです。

 

 

管理する項目が多すぎて。

ということで、仕訳帳を無くして資産と負債(カードの支払など)のみ管理するパターンの帳簿にしました。

 

 

実はいいアプリも持っていますが、日本語じゃないので使いこなせず放置ですw

 

 

 

とりあえず今の状況をすべて把握できたのでスッキリ★

 

 

 

 

では本日の記事です。

 

 

 

身体を含む物質について

 

 

物質には色や形があります。

そして壊れ、変化するものです。

 

 

仏教では音も物質です。

エネルギーが流れ、変化することで認識するからです。

 

 

そうすると、光も物質です。

光のエネルギーとりんごのエネルギーがぶつかって違うエネルギーになり

それを目で認識してりんごが見えます。

 

 

要するに、物質=変化するエネルギー とします。

 

 

アビダンマでは物質は28種類挙げています。

ですが、シンプルに考えれば4種類です。

 

 

 

 

人間の問題は認識することから生まれます。

ですから、認識の範囲の中だけで心と物質のはたらきを徹底的に分析することが

生活や心の成長につながります。

 

 

 

 

触れる物質も、小さな小さな世界で見ればいろんなエネルギーが集まっています。

違うように見えても、見えないものでも、ただエネルギーの変化なんですね。

 

 

 

それを認識する心と、同時に生まれる心所。

 

 

 

気づきとエネルギーで出来ているってことですか・・・

超シンプルw

 

 

 

まだよくわからないけど、気づきとエネルギーの変化もきっと同時なんだろうなーと思います。

 

 

 

気づきだとか、エネルギーだとか、そればかりを考えていると

周りにどう思われていて・・・とかいうレベルのものがちっぽけでどうでもいいことに思えてきそうです(笑)

 

 

 

意味づけと感情を選択しているのは自分ですよね。

いつでも違うものを選択することもできますよね。

 

 

 

余計なものを取り払って、真実だけを探求できれば

いい選択ができるようになっていくと思います。

 

 

 

 

 

 

 【参考図書ブッダの実践心理学 第1巻/アルボムッレ・スマナサーラ

心と心所の関係

 寝違えました・・・

 

 

朝起きたら左側の首筋から背中にかけてひどい痛みが。

少しずつ少しずつ回復していますが、まだ首がきちんと回らない。

 

 

枕から少しズレた位置で寝てたのかなぁ・・・

 

 

枕もマットレスも高いものを買ったからといって自分にフィットするわけでもなく。

あきらめモード。

 

 

ダイエットもあきらめモード。

いやいや、これはあきらめられないw

 

 

 

 

では、本日の記事です。

 

 

 

 

 

心所・・・心との関わりにおける4つの特色

 

心=認知のはたらき

心所=感情など

 

 

① 心所は心と一緒に生まれます。これを同起といいます。

  かわいい動物の動画を見たら、同時にかわいい!という感情が生まれます。

 

② 心が消えると心所も消えます。これを同滅といいます。

  真夜中に大声で会話をしながら歩いている人たちに気付くと「うるさいなぁ」と

  イラっとした感情が生まれますが、過ぎ去ってしまえば「うるさいなぁ」という

  感情は消えます。

  「何だよ、こんな真夜中に・・・」と思えば、それは別に生まれた感情になります。

 

③ 心と心所は同じ対象によって生まれます。この対象を同所縁といいます。

  何かを認識するから心が生まれ、それによって感情も生まれます。

  心も心所もその同じ何かによって引き起こされるのです。

 

④ 心が起こる場所で心所もかならず起こります。これを同基といいます。

  魂も私もなく、認識するはたらきが生命なのです。

  認識したその場その場が場所になります。

 

  認識するはたらきなので、見た瞬間、聞いた瞬間、痛くなった時、触れた時、

  身体中のどこにでも心は起こりますが、定まった場所はありえません。

  物ではなくはたらきなのです。

 

 

気づきの視点に立ってみたら~という前回の本と内容が似通っていますね★

 

全ては認識です。

認識からいろいろなものが生まれます。

 

 

個別の物体、私、として分けてしまうから認識が歪んでいくんでしょうかね。

 

 

認識するはたらきでしかない、と考えれば確かに場所があるわけでもなく

私とかあなたという区別もなく、比べることも意味のないことだと思います。

 

 

 

ちょっとだけ腑に落ちた気がします。

 

 

 

 

 【参考図書ブッダの実践心理学 第1巻/アルボムッレ・スマナサーラ

心が決めること

 ツンツン体操でもやってみようかと、ウエストサイズを測ってみました。

 

 

 

何年ぶりかに2度見しました。

 

 

 

1cmでも効果があれば感謝します★

けっこう必死なお願いです。

 

 

 

 

なんでしょーねー・・・

全くやせない。

 

 

 

また痩せなくなる節目の年齢なのでしょーか。

ウォーキングすべきか・・・

 

 

 

まずはウォーキングの時間を有効活用できる何かを考えてみます。

でないと、つづかない。

 

 

 

 

では、本日の記事です。

 

 

 

 

認識する機能のみ。一つだけです。

生あるもの全てに心があります。

心は感情や心所によって大ざっぱに89種類に分けられます。

 

 

 

心で認識すると生まれる感情

気持ちの良い感じ,嫌な感じなどすべての生命に共通する普遍的な感情を心所とします。

 

 

基本的な感情は52種類

それを、悪いもの、良いもの、どちらでもないものの3種類に分けます。

 

 

痛みなども心所に入ります。

 

 

あなたが真実だと思っていることはすべて心が決めています。

嬉しい、悲しいなどはもちろん、痛い、だるいなどの体の症状も

実は感情が決めているのです。

 

 

 

全く痛みも苦しみも感じない域までにはなかなかいけませんが

例えば、走るのが苦手な人が授業でマラソンをしていたら

嫌だ、疲れた、しんどい、苦しい、もうやめたいー・・・などの感情が溢れることで

疲れは倍増しますね。私のことですが(笑)

 

 

 

でも、社会人になって気まぐれでちょっと走ってみようかな♪っていうノリでやると

結構すいすい走ることができたりします。

 

 

 

心の持ちよう、はあると思います。

 

 

 

 

義務でやっていた勉強や運動は好きにはなれなかったのに

社会人になったら自分から勉強や運動を楽しんでいます。

 

 

 

意欲を出すには、心にどう働きかけるのかというのも重要かもしれませんね♪

 

 

 

 

 

 【参考図書ブッダの実践心理学 第1巻/アルボムッレ・スマナサーラ

勝義諦

 ここ最近、寝起きからもうグッタリしています。

夏バテでしょうか。

 

 

食欲は減りませんが(笑)

 

 

 

さて、昨日は祝日ですが実は出勤日。

有休をとってセミナーに行ってきました★

 

 

 

アレクサンダー・テクニークの学びです。

 

 

 

初めて聞く名前でしたが、心身をうまく使いこなすスキルを学ぶものだそうです。

 

 

 

自分のココロとカラダを知って、姿勢や呼吸などのバランスをとり

心身の不調を改善したり、歌や楽器、演劇やスポーツなどのパフォーマンス向上に役立ちます。

 

 

 

自分では気づいていないクセなどによって無駄な力を使ってしまい不調につながったり

ちょっとカラダを意識することで動きが楽になったり、実際に見たりやってみたりすることで

大変わかりやすく楽しいセミナーでした♪

 

 

 

個人的にも興味のある分野なので、もう少し勉強してみたいなーと思っています。

 

 

 

 

では、本日の記事。

 

 

 

勝義諦(しょうぎたい)

 

 

それ以上変化できない真実そのもの

 

 

 

変化しつづける世俗諦を徹底的に分解していったら、どこかで究極の終点(真実)に行き着くはずだという発想です。

 

 

実際に何(勝義諦・本質)があってこの現象(世俗諦・変化する現象)が生まれたのか

本質(勝義諦)を正しく見ることがアビダンマの勉強になります。

 

 

 

 

目の前にあるカップ。

 

 

これを見て「これはカップだ」と認識するのは世俗諦です。

実際そこにあるカップ自体(情報そのもの)が勝義諦です。

 

 

 

目の前に本があっても、1枚ずつページを破ってしまえば紙になります。

分解すると別のものになる、条件を変えるとあったものが消えてしまう

これが仏教でいう「実体はない」ということを理解します。

 

 

 

状態の変化により認識が変わり、それとともに感情も変化します。

そういった現象に囚われて苦しみを作り出すのです。

 

 

目の前にあるごはんが美味しそう♪

でもこれを食べたら太ってしまう・・・

 

 

といったように変化する現象に対してうまれた感情に囚われ、

その感情からまた新しい感情を作り出し悩み続けます。

 

 

その美味しそうなごはんをゴミ袋に入れたら生ごみです。

 

 

 

現象は変化します。実体はありません。

感情にとらわれず、感情を捨てればいいのです。

 

 

 

この実体はないということこそが、変化しない真実である勝義諦なのです。

 

 

 

ありのままの事実・真実を自分できちんと確認することが大事です。

 

 

 

勝義諦でものごとを分類すると4つに分けられます。

 

1.心(しん)

認識するはたらき。五感でかんじること、心で思うことの機能。

 

2.心所(しんじょ)

認識と一緒に生まれる感情。心に生まれる一切の感情。

 

3.色(しき)

物質的な世界。色や形など見たり触れたりできるもの、壊れたり変化するものごと。

身体も外の世界も両方含まれます。

 

4.涅槃(ねはん)

上の3つを理解したところで、何ものにも囚われる意味がないという智慧の感情が生まれる、そこで体験する世界・状態。

 

見る、聞く、ではなく見ている、聞こえている、と機能そのものを確認して認識の仕組みを発見していきます。

 

 

 

 

認知・思考・感情・物質などは現れては消え、変化するものです。

それらが変化して消えているものに対して感情を持ち続け、感情を生み出すことは意味のないことです。

 

 

と言われると、確かにその通りだと思いますw

 

 

 

ただありのままを見つめて心穏やかに・・・・

 

 

 

と、ここまでくると思うことは

嫌な感情はできれば味わいたくないけれど、それも含めていろんなことがあるから

人生おもしろいんじゃないか、ということですw

 

 

 

いつも楽しいことだけ、心は穏やかに、だったらいいな~とは思いますが

欲だったり感情だったりする限り、やっぱりそれだけっていうわけにはいかないってことですね★

 

 

 

いいこと、悪いことを区切って切り離すことはできなくて、

どちらの要素も含まれてるものなんだと、なんとなく理解しています。

 

 

 

真実を見つめて、どう捉えるか、ということを身につけておけば

自分を見失って物事や感情に振り回されてしまうことが無くなっていきますよ♪

ということですね。

 

 

 

自分がどう在りたいか、何を選択したいのか。

自分の人生を生きるならば、やっぱり基本はココですかね~♪

 

 

 

 

 

 【参考図書ブッダの実践心理学 第1巻/アルボムッレ・スマナサーラ

世俗諦

 ノートMac用にちょこちょこと周辺機器を注文しました。

しかし、USBハブが残念ながら品切れ。

 

 

 

じゃあ別のハブを・・・と検索していたら、テンキーにハブがついているものを発見♪

USB2.0なのがちょっと残念ですが、大きなデータを動かすものをここに付けるわけじゃないから別に2.0でもいいのかなーと思い購入することにしました♪

 

 

 

 

 

 

デザインもMacにピッタリ♪♪

 

 

 

週末はMacのお勉強と、お野菜の種まきしよっとw

 

 

 

 

それでは、本日の記事です。

 

 

 

 

新しい本です。

仏教実践心理学シリーズ★

 

 

 

世俗諦

 

 

 

アビダンとは、ブッダの教えを体系的にまとめたものをいいます。

その中で、真理には二種類あります。

 

 

 

1.世俗諦(せぞくたい)

  世間のレベルでの真実。

 

 世の中の知識や決まり、道徳などは作られた常識です。

 みんなで決めたのだから守りましょうというもの。

 ただそう決まっているだけのことで、そこに徹底した真理はありません。

 

 

  これは、いつでもどこでも他のどんな生命に対しても必ずあてはまるという

 完全な真実ではありません。

 

 

 科学的な真実も自然界のルールなどもこれに入ります。

 

 

 世俗諦は変わる真実です。

 知られていたことの決まり、知られていることの決まりがあり、

 科学や技術が進歩して新しいことが発見されると変わっていくのです。

 

 

 しかし、だからといって昔知っていたことが間違いだとも言い切れません。

 

 

 見方を変えれば昔も今も大した違いがなかったりします。

 例えば、細かく見たら昔治らなかった病気が今では治せるようになっていたりしますが、

 いろんな病気全体として捉えれば、治ったり治らなかったり命をなくしてしまったり

 ということは変わらずあるわけです。

 

 

 条件によりころころ変わるものであり、変わっても大した違いがないものなので

 必要以上にそこに凝り固まってしまわず、みんなの決まりだけだという理解が重要です。

 

 

 

世俗諦はそのときどきの真理であり、人によって異なる真実なのです。

そして見方によっても結果が異なるものです。

 

 

 

いろんな情報、悪口やウワサなど、それらはすべて世俗諦です。

絶対の真実ではありません。

 

 

 

人はどうしても目の前のことに一喜一憂してしまいがちです。

世俗諦なんだ、と一歩ひいてみることができれば少し心が自由になれそうです★

 

 

 

出来事に自分でいろんな意味づけをしてしまうので、いろんな感情が生まれます。

意味づけせず出来事だけを見つめれば、ただ物事がそう変化しただけのことで、

それなら〇〇すればいいだけのことか。と思えば何でもないことだったりします。

 

 

 

人によって違うもの、見方によって違うもの、どんどん変わるものは絶対じゃないんだ

と、何かあればすぐに思い返せるようになるといいです。

 

 

 

 

 

 

 【参考図書ブッダの実践心理学 第1巻/アルボムッレ・スマナサーラ

悟りのイメージ

 私は新しいもの好きです。

新しいものにふれると意欲がムクムクと沸いてきます。

 

 

だからそんな機会が減ってしまうといろんなことがピタっととまってしまう。

少し忙しいくらいに予定は入れておく方がよさそうですw

 

 

 

 

では、本日の記事です。

 

 

 

悟りのイメージ

 

 

 

悟りという言葉で連想される規範や人物像はそれぞれの伝統によって異なります。

 

 

で悟った人のイメージとチベット仏教で悟った人のイメージ、西洋のサットサンの世界で悟った人のイメージは、まわりの目にどう映るかという要素がともない違いが生まれます。

 

 

どの悟りが正しいのか、どれを選べば本当に悟れるのか・・・

悟りに限らず、今は情報がたくさん溢れていて選択に迷いますね。

 

 

どの情報を実行すれば本当にダイエットできるのか。

この化粧品で本当に肌がキレイになるんだろうか・・・

といったような不安が常につきまといます。

 

 

いろんなメディアなどの情報に操られ、あっちのほうがいいんじゃないか、

でもこんなウワサもあるし・・・などw

 

 

 

 

 

悟りに関しては、

 

 

どの教え方にしても進んでいくにしたがって不思議なことが起こっているのに気づきます。

探求が深まるにつれ悟りなどについてのイメージの呪縛から自由になっていくのです。

 

 

自分が間違った道を進んでいるのではないかという不安や、自分と他人を比べるようなことが無くなってきます。

 

 

自分自身の真実をさがすことに心を奪われます。

 

 

そのため、悟りに近づくにつれて、あまり悟りについては考えなくなるのです。

 

 

悟りや他のどんなものも、出来事や目的地、境地や所有可能なものだとは思えなくなります。

 

 

悟りのイメージではなく、真実の探求に集中するようになっていきます。

 

 

 

 

 

 

この状態でなければ悟ったとは言えない

悟ったのなら常に心穏やかで幸せなんだろう

悟った!と思える経験をしたい!

 

 

などのようなイメージに近づこうとするのではなく、

今目で見ている物とは、感じているものとは、自分とは、気づきとは・・・

など、常識を取り外して純粋に真実を探求することなのでしょう。たぶんw

 

 

 

 

常識を取り外して純粋に探求する作業がかなり難しいんですけどね・・・

 

 

 

認められたい、貢献したい、楽しみたい、手に入れたい、あの人のようになりたい

などのいろんな欲が不安や悩みの種のひとつにもなります。

 

 

 

悟ることで、そういったことが無意味だと気づき心が自由になれるんだろうと思います。

 

 

 

確かにシンプルな方が楽でしょう。

ですが、そういった探求をしつつも、無理にそうなろうとせず

自分が楽しめることをしていけばいいじゃないか♪という結論になりましたw

 

 

 

良いも悪いもいろんな経験を楽しむことです★

 

 

 

 

 

 【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド