見えないものを信じるちから

うまくいく未来を信じて行動するには何が必要か

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・本を読んでの感想や自分の解釈、チャレンジなどを引用しつつ載せています。(青字の部分が引用もしくは本の内容をまとめたもの)
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気づきのイメージ

 

インドの覚者ニサルガダッタの言葉。

 

 

「私の世界に悪いことはない」

 

 

この ”私” をどう解釈するか。

 

 

ニサルガダッタは癌でこの世を去っています。

 

 

”私” がニサルガダッタを指していると考えるなら、その世界には身体があって、癌と痛みがあったでしょう。

 

 

”私” が世界の中心であれば、その世界には良くないことがたくさんあるでしょう。

 

 


でも、”私” が世界に生じるものを見ているそれを指すものとしてとらえるなら、
その世界には悪いことは何もありません。

 

 

 

まったく何も起こってもいないし、欠けていることもなく、誰のものでもありません。

純粋で何にも影響されず、いつでも手の届くところにあります。

 

 

 

それ=気づき は、「これが自分だ」とあなたが思っている身体と精神を見ています。

存在そのものです

 

 

 

 

気づき自体からすれば確かに痛みや苦しみ良いも悪いも無いでしょう。

ですが捉え方を変えたとしても、身体や感覚を経験するわけです。

 

 

だから、悟ることができれば痛みなどを経験することはないのではなく

ジタバタもがいて苦しむことなく気持ちが楽になるということなのかなぁ・・・と思いました。

 

 

 

 

今の私がしている気づきのイメージはこんなかんじです。

 

 

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おおざっぱですがw

 

 

気づきが身体を通していろんな経験を味わっているようなイメージです。

今の私ではこの程度の理解で精いっぱい(笑)

 

 

 

私の中では結構がんばりました♪

とりあえず今の段階はこれで納得しておきます。

 

 

 

 

 

 【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド

分離

 また韓国ドラマの宮廷ものにハマり中ですw

 

 

好きなのは、トンイ、チャングム

今回は馬医。

 

 

同じ監督さんなのかな。

最後がハッピーエンド好きな私にぴったりです♪

 

 

 

では記事に入ります。

 

 

 

分離

 

 

 

自分は身体だと考えていると世界は物質で構成されているように見えます。

自分は心だと考えていると世界は心を含む目に見えない存在で構成されているように見えます。

自分は気づきだと感じていると世界は気づきにほかならないように見えるんです。

 

 

 

 

ものごとは気づきの中で起こり、その気づきがあなたの自己です。

 

 

 

経験がどこかで起こっているとか、誰かの内側で起こっているというようなことは

意味をなしません。

 

 

 

 

 

 

本の中で対談している人はどんどんわかっていくのに、私はまだわかりません(笑)

ですが、分離を感じるから比べたりいろんな感情が発生するのは確かだと思います。

 

 

 

私とあの人、この人

心と身体

意識と無意識

人間と動物

この国とあの国

この部署とあの部署

 

 

など、区別(分離)してしまうことで生じる問題は沢山あります。

 

 

 

すべてはひとつ、すべては気づきだということがわかれば

嫌な感情は生まれてこないのかなぁ・・・という気がします。

 

 

 

 

 

 

 【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド

わかったときわかるのは不可能だとわかる

 最近いじめられています。

 

 

かじられたり、つねられたり、噛まれたり・・・

 

 

甥っ子(10か月)から(笑)

痛いんだよと教えたいところですが、まだ無理ですねw

 

 

見ていると、子供ってこうやって育つんだ~♪と心理的な発達の勉強になります。

 

 

自分の子供じゃないから客観的に余裕で観察できますから。

母親にしかわからない大変さは実感できないですが。

 

 

 

 

では、本日の記事です。

 

 

 

 

意識は非二元的か

 

 

意識も分離されていないひとつのもの、と言われると引っかかりを感じます。

 

 

一人ひとり別々の意識があるように感じるからです。

 

 

わかる ことは通常、心や脳、人がすることです。

脳も人も対象にすぎず、対象に何かが わかる ことはありません。

 

 

深い眠りに落ちているとき、体は経験されていないけれども、

気づき(自分という存在)は常にある

 

 

 

読むほどによくわからなくなってきているような気がしますw

非二元性ではすべてが気づきで対象は無いのに

脳も人も対象にすぎないといっているのはどういうことなんだろう・・・とか

 

 

 

深く眠っていたら体が経験されないのはもちろんですが

気づきが常にあるというのもよくわかりません。

気づきだってわからないと思うんだけどなぁ。。。と。

 

 

 

ただ、わかることはありえないという部分を読む限り、昨日ふと思ったように

考えたり感じたり自分だとわかるようなことはオプションなんだなーと思いました。

 

 

 

わかることがありえないなら、無理に理解しようとしなくてOKなんですねw

 

 

 

なんとなーくわかったような気がする程度で放っておきますか・・・

モヤモヤするけど。モヤ子ちゃんを連れてお散歩お散歩♪

 

 

 

 

 

 【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド

もの話法

12色のクーピーをじっと見つめる。

今、一番気になる色は何だろうか。

選んだ色をどこに塗りたいか。 

 

 

 

これを繰り返し、カラー心理診断シートに塗り絵していきます。

その後、色にあらわれる深層心理から今の自分を読み解きます。

 

 

 

大体3か月に一度くらいの頻度でこれをやる機会があり、昨日がその日でした。

 

 

 

今は大した特徴も無いしうまく読み取れないんじゃないかな・・・と思っていましたが

近況を報告したわずかなスピーチの中に、ちゃんと塗った色の心理が表れていたのでした★

 

 

 

情報を探して選んで結びつける能力をもっと鍛えたいなって思います。

 

 

 

教えてくれる先生は、全員の名前や顔はもちろん、一人一人の状況もきちんと覚えていて、スピーチの内容も細かなところまでしっかり記憶しています。

 

 

そして、わずかな情報から見事に心理を分析するんですね~。

いつもいつもすごいなーと尊敬です。

 

 

 

私もそんなふうになりたい!って思いますが、泣きたいくらい酷い記憶力、分析力。

必死さが足りないのもひとつの要因ですね。

 

 

 

では、本日の記事。

 

 

経験についての続きです。

 

 

私なりに考えなおしてみた結果、

経験そのものは感覚などから伝わり脳で信号処理され気づくもの。

ただ事実を処理しただけ。

そういう観点からすると、経験は 自分のもの と決まっているわけではないと理解できます。

 

 

ですが、本に書いてあるのは

脳の作用の結果として経験が起こるわけではありません。ということ。

 

 

 

難しすぎる・・・

そもそも、感覚とか脳の作用があるから考えたり感じたり気づいたりできています。

気づきを理解するための道具が人間の体の働きだと思います。

 

 

言葉や時間や位置などは人間が作って決めたものなのであまりこだわりはありませんが、

気づきがなければ何もわからないのと同じで、感覚とか脳の作用がなくては気づきも無いと思うのです。

 

 

事実の認知=気づき の積み重ねが経験だと思います。

 

 

 

ですが・・・

 

言葉の意味の問題かなぁ。。。

存在とか気づきがあって、感覚とか脳の作用はオプションかなぁ。。。

考えたり感じたり、自分だって思うようなものはすべてオプションなのかもと思えてきましたw

 

 

 

存在しているのは素粒子だけ

 

いろいろな非二元の教えでは自由意志も心も人々も対象もまったく存在していないと

いうことが言われています。

 

 

ただ、たとえこれを理解できたとして、現実を生きていくのは困難です。

 

 

パリに旅行に行ったという話を非二元的に話すとこんなかんじです。

「この身体は見かけの上で旅をして、パリという形態とひとつになったの。

架空の時間が過ぎて、エッフェル塔という形態が現れたわ。すると、

この身体という形態に感動という幻想が起こったの。」

 

 

 

無理ですね。しかもつまらない(笑)

 

 

 

非二元性、ダイレクトパスを理解できようができまいが、

「もの」の存在を前提とした話し方をしても問題はありません。

 

 

「もの話法」は、概念に基づいて社会生活を営むためのひとつの伝達手段で、

生活を円滑にしてくれます。

 

 

とあります。

ホっとしましたね~w

 

 

しかし・・・本も半分まで読み進めましたが、まだ理解できずw

私に理解できる日はやってくるのでしょうか(笑)

 

 

 

 

 

 【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド

経験とは

 いったい何年ぶりだろうか。

 

 

昨日は夜中に一度も目が覚めることなくぐっすりと眠ることができました。

それなのに寝起きは眠くていまいち。タイミングが悪かったんでしょうね★

 

 

 

毎日続くといいんだけどなぁ。

 

 

 

さて、パソコンの隣には日めくりカレンダーがあります。

オットからプレゼントしてもらったもの。

 

 

 

チラリと目に入った今日の言葉は・・・

 

 

 

“ 人生を楽しく生きるコツがあるとしたら、

 それは心地よい風の吹く方向に心を常に向き変える事でしょうね ”

 

 

まさに引き寄せの基本みたいなお言葉ですね♪

 

 

【 日めくり”優しい風”/ひろはまかずとし 】

 

 

 

このカレンダー、とっても気に入っています。

ありがとう♪オット♪

 

 

 

 

では、本日の記事です。

 

 

 

 

経験とは

 

 

 

の経験とかあなたの経験というような属性の区切りはありません。

自分経験が別のものでもありません。

経験を”している”わけではありません。

 

 

 

存在=経験なのです。

 

 

 

分離した個人というものが存在しているという思い込みの本質を見抜くことが

ダイレクトパスの教えです。

 

 

経験は自分のものだと感じていますか?

 

 

自分の手を見てください。

目を閉じて膝の上にのせましょう。

それは自分の手だと感じられますね。

 

 

これは、思考、心象(心に描かれるイメージ)、運動感覚、意見に基づいたものです。

それらは誰のものでもなく、どこか別の場所にあるわけでもなく、中心もありません。

気づきの中にあります。

 

 

個人が経験しているのではなく、個人が経験されているのです。

 

 

 

 

 

いろんな人がいて、それぞれが違う経験をして、何を感じて何を考えているのかは

他人からはわからない。

この捉え方からなかなか抜け出すことができません。

 

 

 

スピリチュアル系の本にいろんな言葉で登場するような

「私たちは宇宙の一部だ」というような意味でとらえればいいのでしょうか。

 

 

 

 

 大自然の絶景に見とれているその瞬間は非二元的だそうです。

純粋に自然と一体化している感覚というか・・・

言葉にするのって難しいですね。

 

 

 

 

でも、そのひとつに溶け込むような瞬間ってしあわせな気がします。

ダイレクトパスではそれが得られるのかなぁ。

 

 

 

まだまだ理解不足(´Д`)

 

 

 

 

 

 【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド

ダイレクトパスとは

 最近、いろんなことを客観的に捉えることができるようになってきました。

いろんな感情やいろんな思考が渦巻いている状態です。

 

 

残念ながら、まだコントロールができません。

パっと気持ちを切り替えられる技を早く身につけたいです。

 

 

 

 

では、本日の記事。

 

 

 

ダイレクトパスとは

 

 

私たちの本質は非二元的な気づきだということ

自分も含めたあらゆるものは、ただありのままの気づきそのものなんだということだと思います。

 

 

 

 

ダイレクトパスを体験できるようになるために、知識を身につけたり

自分を変える努力をしたり、今までにない不思議な感情を経験したりする必要はありません。

 

つまり、コツコツと修行をして少しずつレベルアップしていく必要がないのです。

 

 

 

 

 

普通にコーヒーカップを見ているときは人間の視点に立っています。

コーヒーカップを視覚だけに集中してみているときは心の視点に立っています。

この場合、五感(視覚)が心に情報を伝達します。

 

 

 

私の解釈でこの捉え方の変化を簡潔にしてみると・・・

 

 

物と人間

五感の情報と心

気づき(認知)がなければ存在を捉えることができない

 

 

 

という流れでダイレクトパスにたどり着くのが適切な方法です。

 

 

 

自分であることに気づき、感覚を通して更にいろんなものに気づく、

すべてが気づきです。

 

 

 

 

この辺はなんとなーく理解できます。

私の疑問は、気づきの視点に立てたら何なのか、その先にどんな違いがあるのか

自分はどうなるのかです。

 

 

この疑問があるうちは結局気づきを理解していないってことなんでしょうかねw

 

 

 

 

 

 

 

 

 【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド

観照を崩壊させる実験

 mac book Pro が欲しくて貯金を始めたのが先月末。

結局買ってしまったのが先週末。

 

 

つまり、貯金しよう!とはじめたその日に結局買ってしまったんですw

 どーいうことでしょうかね(笑)

 

 

私はあれこれじっくり考えるよりも、すぐに行動に移すタイプですが、

さすがに今は無理だろう・・・と思えるものは手に入れるための準備をちゃんとします。

 

 

 

それを今、行動に移してしまったということは、きっかけがいくつか重なったからでした。

 

 

 

★あ、そこそこ積立の貯金があるーと気付いた♪

★欲しい条件の整備済品があった♪安く手に入れられそう♪

★使えないだろうなーと思っていたソフトが使えるかもしれない希望♪

★今カードでお買い物をするとポイントが数倍に♪

★古いwindows機が限界だからできるだけ早くネット切断したい

 

 

 

ってことで、注文した翌日にきましたよ。

APPLEもアマゾン並みに早いですねw

 

 

 

そしてシンプル♪

電源コードと本体、小さな紙が数枚のみ!

説明書はありません。あっても読まないタイプですがw

 

 

 

MACなんてパフォーマっていうはるか昔のシリーズ以来触っていないのでほぼ初心者。

いろんな操作性の感覚がWindowsと違ってとまどいますが、触ってりゃなんとかなる

精神で乗り切ってますw

 

 

 

どうしてもわからなかったらネットですぐ出てくるし♪

 

 

 

MACはすぐに愛着がわきますね~♪♪

ネットつなげるのも、プリンターをつなげるのも、想像以上に簡単すぎて拍子抜けしました★

 

 

 

早く使いこなせるようになりたいな♪

 

 

 

 

 

では、本日の記事です。

 

 

 

 

心も気づき

 

 

 

気づきが生じている場所が心、ではありません。

 

 

気づいているから考え、気づいているから感情を味わう、ということでしょうか。

 

 

 

< 観照を崩壊させる実験 >

 

 

※観照とは、見る側と複数の見られる側とで成り立つ構造。

見ている主体と見られる独立した対象があるという意味だと思います。

 

 

 

楽に座り数回深呼吸をします。

特に何かを考えようとも、考えないようにしようともせず、

浮かんでくるものも消えていくものもそのままにしておきます。

 

 

しばらくしたら、直前に生じた思考を思い起こしてみましょう。

今思い出している思考記憶であり、実際に今存在しているものではありません。

 

 

そして、今の思考が生じるときは、記憶の思考はありません。

このふたつの思考は同時には存在しないのです。

 

 

 

ふたつの思考が同時に存在できない、つまりひとつの思考というように考えること自体

理にかなっていないことです。

 

 

思考が生じていないとき、別のどこかにあるわけではなく、思考が別のどこかに隠れることもありません。

 

 

そもそも思考ではなく単なる気づきなのです。

 

 

 

思考も感情も感覚も周りのものも、すべては気づきです。

 

 

 

 

 

 

気づきはわかります。

でも、自分の思考が存在していないとき、世界の誰かは思考していて・・・

と屁理屈を言いたくなります(笑)

 

 

 

ここまで読んでもまだ受け入れられない部分がありますね。

二元性を常識として生きてきたので仕方ないし、難しいです。

 

 

 

次からのパートは対話になっているようです。

そこで私の疑問は解決するのでしょうかね・・・。

 

 

 

このモヤモヤ感はすっきりするのかなぁw

 

 

 

 

 

 

 【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド