悟りのイメージ
私は新しいもの好きです。
新しいものにふれると意欲がムクムクと沸いてきます。
だからそんな機会が減ってしまうといろんなことがピタっととまってしまう。
少し忙しいくらいに予定は入れておく方がよさそうですw
では、本日の記事です。
悟りのイメージ
悟りという言葉で連想される規範や人物像はそれぞれの伝統によって異なります。
禅で悟った人のイメージとチベット仏教で悟った人のイメージ、西洋のサットサンの世界で悟った人のイメージは、まわりの目にどう映るかという要素がともない違いが生まれます。
どの悟りが正しいのか、どれを選べば本当に悟れるのか・・・
悟りに限らず、今は情報がたくさん溢れていて選択に迷いますね。
どの情報を実行すれば本当にダイエットできるのか。
この化粧品で本当に肌がキレイになるんだろうか・・・
といったような不安が常につきまといます。
いろんなメディアなどの情報に操られ、あっちのほうがいいんじゃないか、
でもこんなウワサもあるし・・・などw
悟りに関しては、
どの教え方にしても進んでいくにしたがって不思議なことが起こっているのに気づきます。
探求が深まるにつれ悟りなどについてのイメージの呪縛から自由になっていくのです。
自分が間違った道を進んでいるのではないかという不安や、自分と他人を比べるようなことが無くなってきます。
自分自身の真実をさがすことに心を奪われます。
そのため、悟りに近づくにつれて、あまり悟りについては考えなくなるのです。
悟りや他のどんなものも、出来事や目的地、境地や所有可能なものだとは思えなくなります。
悟りのイメージではなく、真実の探求に集中するようになっていきます。
この状態でなければ悟ったとは言えない
悟ったのなら常に心穏やかで幸せなんだろう
悟った!と思える経験をしたい!
などのようなイメージに近づこうとするのではなく、
今目で見ている物とは、感じているものとは、自分とは、気づきとは・・・
など、常識を取り外して純粋に真実を探求することなのでしょう。たぶんw
常識を取り外して純粋に探求する作業がかなり難しいんですけどね・・・
認められたい、貢献したい、楽しみたい、手に入れたい、あの人のようになりたい
などのいろんな欲が不安や悩みの種のひとつにもなります。
悟ることで、そういったことが無意味だと気づき心が自由になれるんだろうと思います。
確かにシンプルな方が楽でしょう。
ですが、そういった探求をしつつも、無理にそうなろうとせず
自分が楽しめることをしていけばいいじゃないか♪という結論になりましたw
良いも悪いもいろんな経験を楽しむことです★
【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド