高次の理性
今月はなんだか早かったな~と感じます。
たぶん、ボケっと過ごしていたからw
休む時間も含めて計画を作っていないと、メリハリが無くなって
大したこともなく終わってしまいます。
やることたくさんあるはずなのに。
あとで来月の計画たてようと思います。
では、本日の記事です。
高次の理性
高次の理性によって、心とその構造の本質をくわしく探ることができる。
ん~・・・この類の本は言葉が難しくて理解するのが大変です。
調べながら私なりに解釈してみようと思います。
まずは言葉を調べてみましょう。
高次とは、次元が高いこと。程度や水準が高いこと。
理性とは、1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を 自分に与える能力。
道理とは、 1 物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。
2 すじが通っていること。正論であること。
とあります。
一般的な理性は打算的な作用であるとされている。
自分が安全に生きるという意味で打算的ってことでしょうか。。。
高次の理性は気づきに対する愛に動機づけられていて打算的でなくより包括的なものだ。
自分を主体とするのではなく、すべての存在の一部としての理性というようなことかな。
苦しい・・・w難しい。
高次の理性は自分の直接体験をじっと見つめることで作用する。
目に見える世界、目に見えない世界、身体、感覚、心
するとそれらは観照している気づきの中で対象として経験されていることがわかる
自分が別の何か(物や体、感覚、心など)を見ているのだと思っているということ。
そんな主観が無く、ただありのままをとらえると気づきの視点になる。
さらに、観照している気づきを離れたところではそれらのものは存在しようがないことがわかるようになる
たとえば今、目の前にある物は地球の反対側にいたら存在すらわからないということ。
観照とは、1 主観をまじえないで物事を冷静 に観察して、意味を明らかに知ること。
二元性ではなく非二元性としてとらえることで気づきの視点に立つことができる。
二元性とは、 光と闇、善と悪、正しいか間違っているか、私(内側)と周りの物や人などの対象(外側)など異なる2つの要素から成り立つもの。
非二元性 すべてはひとつ(←かなりおおざっぱな解釈です)
純粋意識こそが世界の真実であり、あなたの毎瞬の経験の真実である
純粋意識とは、思考や感情、とらえ方など余分なものを一切含まないありのままの意識
無理やり自己解釈してまとめると・・・
本来は自分と他人、自分と目の前の現実といったように分離しているのではなく
存在としてひとつであり、”私” も ”体験しているもの” もすべてが気づきなのです。
そして、ただありのまま認知することで気づきの視点に立つことができます。
難しい・・・よくわからなくて全体的に全くまとまっていませんが
ここを読んだ限りでは、高次の理性も純粋意識も気づきも同じように思います。
ただ、ありのまま。
【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド