気づきのイメージ
インドの覚者ニサルガダッタの言葉。
「私の世界に悪いことはない」
この ”私” をどう解釈するか。
ニサルガダッタは癌でこの世を去っています。
”私” がニサルガダッタを指していると考えるなら、その世界には身体があって、癌と痛みがあったでしょう。
”私” が世界の中心であれば、その世界には良くないことがたくさんあるでしょう。
でも、”私” が世界に生じるものを見ているそれを指すものとしてとらえるなら、
その世界には悪いことは何もありません。
まったく何も起こってもいないし、欠けていることもなく、誰のものでもありません。
純粋で何にも影響されず、いつでも手の届くところにあります。
それ=気づき は、「これが自分だ」とあなたが思っている身体と精神を見ています。
存在そのものです
気づき自体からすれば確かに痛みや苦しみ良いも悪いも無いでしょう。
ですが捉え方を変えたとしても、身体や感覚を経験するわけです。
だから、悟ることができれば痛みなどを経験することはないのではなく
ジタバタもがいて苦しむことなく気持ちが楽になるということなのかなぁ・・・と思いました。
今の私がしている気づきのイメージはこんなかんじです。
おおざっぱですがw
気づきが身体を通していろんな経験を味わっているようなイメージです。
今の私ではこの程度の理解で精いっぱい(笑)
私の中では結構がんばりました♪
とりあえず今の段階はこれで納得しておきます。
【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド