瞑想の最終段階
最近アンガーマネジメントの特集をよく見かけるようになりました。
私もまだまだ、ついイラっとしてしまうことがあります。
それは捉え方を改善する必要があるということ。
イラっとした後によくよく考えてみると、私ってココロが狭いなぁ〜・・・と思うこともあります。
余裕があって、キラキラしている人をイメージしたら、
そういう人たちはそんなことでイライラなんてしないですからね〜w
特集をチラっと見てみた限りでは、REBT論理療法やアサーションなどの要素が含まれているようです。
あれも知りたい!これも知りたい!と本だけ沢山買い込んで、乱読、かじり読みばかりなのでなかなか身につきません(笑)
かといって、全部を勉強しに行く経済的余裕はありません。
やっぱり交流分析をベースにじっくりやっていきたいと思います。
ふと思いました。
見えないものを信じる力って、交流分析の人生態度OK-OKの立場になると手に入るのかなぁ〜なんて。
では本日の記事に入っていきます。
無色界
瞑想でここまでくると、やっと物質と心のはたらきが分離します。
色界では「心が何かを体験する」レベルです。
無色界では「心がそれ自体で何かになる」レベルです。
瞑想には沢山段階があって、きちんと1つずつ段階を踏んでいかなければ
次へ進むことはできないようです。
ちょっと前から思っていましたが、ここまでくると読んでも説明を書いていても
想像が及ばない世界なので無意味な気がしてきました(笑)
何もないことを体験できる世界・・・
ムリですね〜。
何もないことを想像するなんて。
目を瞑って、思考停止して、究極に集中したら 無 になるかな・・・
とかそんなレベルの想像しかできないですね(笑)
想・・・違いを感じるはたらき
認識とは物の差を受け取る、確認すること。
それが鋭いほど、鋭い人だ、頭の良い人だと言われます。
記憶も想に含まれます。
勉強は想の訓練であり、想が鋭い人は頭が良いのです。
記憶力の良い人は想が鋭い人です。
あー・・・鈍い。私はものすごく鈍い。
わかってましたが、やっぱり鈍いw
ブログを見てたらわかりますねw鈍さが。
瞑想の最終段階まで進むと、この想=認識もなくなります。
これより先の心の成長はありませんが、ここまで行っても煩悩は潜伏しています。
何かの刺激がきっかけでまた煩悩が機能し始めることもあります。
永遠とか絶対という言葉は矛盾です。
証明できるものではありません。
続けることが大切だなーと思います。
いろいろと資格をとっても、それを使っていなければどんどん忘れていってしまいます。
今試験を受けても全く受からないだろうなーという資格が沢山ありますw
せっかく自分に役立てようと思ってとった資格。
再勉強と実践を重ねて活かせるようになりたいと思います。
やること盛り沢山ですw
【参考図書】ブッダの実践心理学 第2巻 心の分析 / アルボムッレ・スマナサーラ