わかったときわかるのは不可能だとわかる
最近いじめられています。
かじられたり、つねられたり、噛まれたり・・・
甥っ子(10か月)から(笑)
痛いんだよと教えたいところですが、まだ無理ですねw
見ていると、子供ってこうやって育つんだ~♪と心理的な発達の勉強になります。
自分の子供じゃないから客観的に余裕で観察できますから。
母親にしかわからない大変さは実感できないですが。
では、本日の記事です。
意識は非二元的か
意識も分離されていないひとつのもの、と言われると引っかかりを感じます。
一人ひとり別々の意識があるように感じるからです。
わかる ことは通常、心や脳、人がすることです。
脳も人も対象にすぎず、対象に何かが わかる ことはありません。
深い眠りに落ちているとき、体は経験されていないけれども、
気づき(自分という存在)は常にある。
読むほどによくわからなくなってきているような気がしますw
非二元性ではすべてが気づきで対象は無いのに
脳も人も対象にすぎないといっているのはどういうことなんだろう・・・とか
深く眠っていたら体が経験されないのはもちろんですが
気づきが常にあるというのもよくわかりません。
気づきだってわからないと思うんだけどなぁ。。。と。
ただ、わかることはありえないという部分を読む限り、昨日ふと思ったように
考えたり感じたり自分だとわかるようなことはオプションなんだなーと思いました。
わかることがありえないなら、無理に理解しようとしなくてOKなんですねw
なんとなーくわかったような気がする程度で放っておきますか・・・
モヤモヤするけど。モヤ子ちゃんを連れてお散歩お散歩♪
【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド