腕を使った実験
ん~蒸し暑い朝です。
今年も半分が過ぎました★
去年に比べると、随分とのんびり過ごしています。
この半年での成果といえば、TAインストラクターに合格できたことくらいかな。
その後の進展があまり無いので只今思案中~。
さて、さっそく記事に入ります。
腕を使った実験
身体は自分の意識を囲う物質ではなく、気づきの中の現れであるということがわかるような身体の一部だけに注目した実験をしてみよう。
テーブルの上に自分の腕を置く。
まず腕を見る。
視覚では色と輪郭がわかるだけだ。
形を経験するのみ。
見える範囲以外では形は確認できない。
気づきがなければ見ることはできない。
次は腕に触れてみる。
触れる手と触れられる腕があるように感じるが、外部の物質が感覚の発生源だという思い込みである。
なぜなら、実際に触っていなくても夢の中で触った感覚を味わうこともあるからだ。
触覚が伝えるのは質感や温かさ、柔らかさ、硬さなどの感覚であり、発生源や位置のような概念は推論にすぎない。
では、目を閉じたまま腕を上下左右に動かしてみよう。
ここでは運動感覚、身体感覚で位置や動きを認知する。
こうした感覚は感覚が届かない領域に対象としての物質などが存在しているという根拠にはならない。
自分からは認知できない世界のどこかにある物質
目を瞑ったじょうたいの視覚(何も見えない)
気づきのない感覚作用(つまり経験していない)
これらは経験によっては見つけられない。
経験して情報をキャッチして気づくから証明できるのであって
一貫して存在しつづけている要素は観照する気づきだけなのだ。
ということで。
文章を自分の解釈した言葉に変えて書きました。
感覚が、感覚の届かないところに物質が存在している根拠にはならない。
という部分は納得できますが、だからといってどこにも感覚の届かないところに物質は無い
という根拠も無いように思うんですよ・・・
一貫して存在しつづけている要素が観照する気づきだけなのだ、という部分も
自分が感じる気づきだけからすればね。と思うんです。
ただ、量子論のような分野では、観察されるとそこに物質ができる、みたいな研究結果があるようです。
何冊か読んでみて、へぇ~と納得したものの、ここで説明できるほどには理解できていませんw
やはりこのモヤモヤはちょっと放っておきましょう(笑)
【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド