カップの実験
明日から暑い日が続きそうです。
週末はかき氷でも作って食べようかな♪
電動でふわふわなかき氷ができるマシンがやっと役立ちそう★
買ったのに一度も使っていないものが結構あります。
宝の持ち腐れ名人ですw
とにかく使う!使いたおす!そして使わないものはどんどん処分!
そんな宝を活かせる人になろうと思います(笑)
では本日の記事。
カップの実験
テーブルにカップを置いてただ見つめる。
いろんな思考が浮かんでくるが、それは目を閉じていても現れる。
つまり、その思考はカップを見ているという経験の一部ではない。
そんな思考は放っておく。
カップを見るという経験だけに注目してみよう。
視覚はどんな経験をしているだろうか。
色、輪郭が形として認知される。
輪郭なしでは色は経験されず、色なしでは輪郭は経験されない。
距離、大きさ、重さ、奥行き、まるみ、質感、なめらかさ、硬さといったものも
どれもが色の範囲と境目をもとに判断されているだけだ。
視覚ではカップという実体を経験することはできない。
視覚がなければ形が経験できない。
見ることは気づくこと。見ない時も見ないことに気づく。
ほかの感覚も同じように、感じる=気づきなのだ。
ということで・・・。
色なしでは輪郭は経験されない。
これは理解できますが、輪郭がなければ色は経験されない、というのはどうなんだろう?
と引っかかりを持ちました。
輪郭の捉え方が違うのかもしれないですが。
空の色とか輪郭を感じられない部分でも色はわかるじゃん。と思うのです。
光がなければ色はわからない、というのならわかりますけどね★
ほかの感覚にしても、触ればそこに物体があるとわかるし、
持てば物体の重さを感じるわけで、
感覚で直接その物体を経験できないという部分がなかなか納得できないでいます。
まぁ、視覚に関していえば、色は反射なので物体自体を直接経験できないという理屈はわかります。
感覚=気づき なのもわかります。
感覚(気づき)がなければ物体は認識できないのもわかります。
だからといってやっぱり、認識できないから実際無いのだというのが引っかかります。
気づいたからあるんだ、ということになるのかな・・・。
そうなると、なんだかおかしな感じがします。
自分が想像できるものばかりなら納得するかもしれないですが、
自分が想像もしないような物や景色があるわけで、
それが最初からあるわけじゃなく、気づいたからあるんだというのは
どういうことだろう・・・と頭の中はごっちゃごちゃですw
頭の回線がパチパチいってますよ(笑)
いくら考えてもわからないので、保留にしておきますw
【 参考図書 】気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?/グレッグ・グッド