普通であることの勇気
何もかも面白いように上手くいっている♪
人生楽しい♪しあわせ♪感謝♪
なんとかなるもんだなぁ~★
あー。やっと解放されました。
終わったら美味しいお酒を飲めるようにやりきるぞ!と試験に挑みましたが、なんとも微妙な感じで終わってしまいましたw
試験官二人のまえで、何人もの前で講義しているようにロープレするんですが、試験官の目を見てしまった瞬間、厳しく評価されている眼差しに緊張してしまい、カンペキに覚えていた内容も飛んでしまいがちに…
それでオロオロしてしまって表面的なものになってしまいました。
さらに、ロープレ後の質疑応答では、鋭い質問がグッサリきて、またもやオロオロ(笑)
という事で、あー…微妙だー…となってしまいました。
まぁ、終わってしまった事だから今さらグチグチ考えても仕方ないですね♪
苦手な状況になると、ガッツリとマイナスな縛りにハマってしまいます。
ほんと、まだまだ甘いな〜w
では、本日の記事です。
わたしであることの勇気
劣等感と共同体感覚
これをベースとすると、仲間と共に自己成長していく という感じでしょうか。
そこでは承認欲求は認められません。
承認欲求の目的は、孤立したくない
共同体のなかで特別な地位を得るために所属感を得たいということです。
承認欲求というのは満たされても満たされても終わりがありません。
常に他者から承認されていなければ不安がやってくるのです。
ではどうするか。
他者からではなく、自らの意志で自らを承認するのです。
わたしの価値を他者に決めてもらうのは依存
わたしの価値を自らが決定することが自立
自信が持てないのは普通であることの勇気が足りないのです。
人と違うことに価値を置くのでなくわたしであることに価値を置くようにします。
自然とその人の周りには人が集まる、そんな人はやっぱり明るく楽しい雰囲気を持っていて魅力的だなぁと感じます。
私は違うから、そんな人がうらやましいなぁ♪という気持ちと共に少し残念な気持ちもわいてきます。
今でもそうです。
ただ、前と違うのは
それでも、わたしはわたしで思った通りにやっていこう★わたしのまま行動して周りと接していこう。と思えるようになったことです。
自己嫌悪に陥っていじけていても仕方がないですからねw
チクっとする感情が出てきてしまっても、それに振り回されることが無くなりました。
私にユーモアがあったらな~・・・
もっとおしゃべり上手だったらな~・・・
とか、まだまだ思ってしまいますが、それでもいいや。と受け入れられた気がします。
エゴグラム、いい子ちゃんなACが高かったので、元気いっぱい自由なFCを上げようと意識してきました。
その結果、試験でロープレ後に「あなたはFCが高い感じでしたねー・・・」と言われてしまいました(笑)
そうなんです。最近やったエゴグラムではFCがぐーんと上がって、ACと共に大事な役目の大人のAも下がってしまったという事実。
私の中で、楽しく伝えたい♪というところが何よりも優先されていたんだと思います。
また試験のモヤモヤを思い出してしまいましたが・・・・w
あえてここで自分を褒めるとしたら、
FCを上げたいと意識して、その通りに変えられたことはスゴイな~と思います。
簡単にホイホイと変えられるものじゃないですから。
それだけそこの意識が強かったのかな。
その意識を今度はAの回復にあてたいと思います(笑)
わたしはどうしたいのか、わたしはどうありたいのか。
そこがブレなければ、普通でも何の問題もありません。
自己肯定感、自信につなげるためにも、よかったこと、できていることに目を向けて
たくさん自分を褒めていきたいです。
もう1年以上、夜になかなか眠れなかったり、毎日何度も目が覚めたりということが続いています。
そこで「眠れない、なんで?」と不安やイライラを感じていたら余計に悪化します。
数分でも眠れたなら、「あ!いま眠れた♪よかった~。」と自分を褒めて
そんな気持ちのままリラックスして心地よさを味わっていたら精神的な疲れもとれるだろうと思います。
眠ることにこだわりすぎると余計に眠れなくなり、眠れないことが最大のストレスになってしまいます。
そのストレスでさらに眠れなくなるという悪循環。
安心感、心地よさ、リラックスを求めてみたらいいのかなーと思います。
目を向けるのは、少しでもできていること、です。
【参考図書】幸せになる勇気/岸見一郎